東京地方裁判所 平成8年(ワ)12577号 判決 1998年9月30日
主文
一 原告の主位的請求を棄却する。
二 被告は、原告に対し、金五四二万六七九三円及び内金四九六万六〇九八円に対する平成一〇年九月一日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。
三 原告と被告との間で、別紙物件目録記載の貸室の賃料は、平成八年二月以降一か月金八一万六〇〇〇円(消費税を含まない金額)であることを確認する。
四 原告のその余の予備的請求及び被告のその余の請求をいずれも棄却する。
五 訴訟費用は、これを三分し、その一を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。
六 この判決は、第二項に限り、仮に執行することができる。
理由
【事実及び理由】
第一 原告の請求(本訴)
(主位的請求)
一 被告は、原告に対し、別紙物件目録記載の貸室(以下「本件貸室」という。)を明け渡せ。
二 被告は、原告に対し、金八一八万八四五一円及び内金七三一万二五六二円に対する平成一〇年九月一日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。
三 被告は、原告に対し、平成一〇年九月一日から本件貸室明渡済みまで一か月金一〇八万七六八〇円の割合による金員を支払え。
(予備的請求)
被告は、原告に対し、金八一八万八四五一円及び内金七三一万二五六二円に対する平成一〇年九月一日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。
第二 被告の請求(反訴)
原告と被告との間で、別紙物件目録記載の貸室の賃料は、平成八年二月以降一か月金七二万円(消費税を含まない金額)であることを確認する。
第三 事案の概要
一 事案の要旨
本件本訴は、原告が被告に対し、主位的に、本件貸室の賃料及び共益費(以下「賃料等」という。)の不払いによる賃貸借契約解除に基づき、本件貸室の明渡しと未払賃料等及び賃料等相当損害金合計八一八万八四五一円及びこれに対する平成一〇年九月一日から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金と明渡済みまでの賃料相当損害金の支払を求め、予備的に、右明渡しが認められない場合に、右同額の未払賃料等及び遅延損害金の支払を求めたものである。これに対し、本件反訴は、被告が原告に対し、本件貸室の賃貸につき、原告に一部債務不履行(履行不能)があるとして、賃料の減額確認を求めたものである。
二 争いがない事実等(証拠で認定した部分は( )内に証拠を掲げる)
1 本件貸室の賃貸借契約(本訴・反訴請求原因事実)
原告は、昭和五六年一一月二六日、被告に対し、本件貸室(四八坪)を賃貸し、その後、右契約は更新され、平成七年一二月一日には、次のとおりの約定がなされて更新された(以下「本件貸室契約」という。)。
(一) 期間 平成七年一二月一日から平成九年一一月三〇日まで二年間
(二) 賃料 一か月九一万二〇〇〇円(消費税二万七三六〇円を合わせると九三万九三六〇円)
(三) 共益費 一か月一四万四〇〇〇円(消費税四三二〇円を合わせると一四万八三二〇円)
(四) 賃料等は、毎月末日までに翌月分を前払いする。
2 本件貸室契約にかかる催告・解除(本訴の請求原因事実)
原告は、平成八年四月四日に到達した内容証明郵便によって、被告に対し、本件貸室の平成八年三月分、四月分の二か月分の賃料等合計二一七万三六〇円(以下「本件催告賃料等」という。)を右郵便到達後七日以内に支払うよう催告し、この支払がないことを停止条件として本件貸室契約を解除する旨の意思表示をなした。
平成八年四月一一日が経過した。(以下「本件貸室解除」という。)
3 三階貸室の賃貸借契約(本訴の抗弁事実)
原告は、平成七年一〇月一五日、被告に対し、本件貸室が収まっている別紙物件目録記載の事務所(通称ツユキビル。以下「本件ビル」という。)の三階のうち九九・一七平方メートル(三〇坪)の貸室(以下「本件三階貸室」という。)を次のとおりの約定で賃貸した(以下「本件三階契約」という。)
(一) 期間 平成七年一一月一日から平成九年一〇月三一日まで二年間
(二) 賃料 一か月四八万円(消費税一万四四〇〇円を合わせると四九万四四〇〇円)
(三) 共益費 一か月六万円(消費税一八〇〇円を合わせると六万一八〇〇円)
(四) 賃料等は、毎月末日までに翌月分を前払いする。
(五) 被告は、原告に対し、保証金として四五〇万円(以下「本件保証金」という。)を預託する。
原告は、被告に対し、本件三階貸室明渡完了後、明渡時の二か月分の賃料に相当する額を本件保証金から控除し返還する。
原告は、被告に対し、被告が本件三階貸室を明け渡したときから六か月を経過したときに、残余保証金を返還する。
(六) 被告が賃貸借期間中に契約を解除しようとする場合は、六か月前に書面をもって予告しなければならない。但し、被告は、三か月分の賃料等相当額を原告に支払い、即時契約を終了させることができる。
4 本件三階契約の解除(本訴の抗弁事実)
被告は、平成八年一月二九日に到達した内容証明郵便によって、原告の債務不履行により本件三階契約を解除する旨の意思表示をなした。(以下「本件三階解除」という。)
5 本件貸室契約における賃料等の支払状況(本訴の抗弁事実)
被告は、原告に対し、平成八年一一月分から平成一〇年八月分までの賃料等につき、別表二の「支払金額」欄記載の金額を「支払日」記載の日に支払った。また、被告は、平成八年一〇月分の賃料等の一部として、同年一二月一七日に五万三九〇八円を現金で支払った。更に、被告は、原告に対し、平成一〇年八月末日に、同年九月分の賃料等として、九〇万七二〇〇円を支払った。
6 本件三階契約における賃料等の支払状況(本訴の抗弁事実)
被告は、原告に対し、本件三階契約において、次のとおり賃料等合計七〇六万五四五二円を支払った。
(一) 平成七年一〇月一三日 四七八万七〇六九円
内訳 本件保証金四五〇万円、賃料等一〇月一六日から三一日まで日割合計二八万七〇六九円
(二) 平成七年一〇月三一日 五五万六二〇〇円(一一月分賃料等)
(三) 平成七年一一月二七日 五五万六二〇〇円(一二月分賃料等)
(四) 平成七年一二月二九日 六〇万九七八三円(一月分賃料等のほか、電気料(一二月の基本料金五万二一七二円)と水道料(一一月及び一二月の基本料一四一一円)
(五) 平成八年一月三一日 五五万六二〇〇円(二月分賃料等)
7 原告による相殺の意思表示(本訴の請求原因事実)
原告は、平成一〇年七月二九日の本件第一三回口頭弁論期日において、被告に対し、本件保証金の返還債務を自働債権とし、本件三階契約の賃料等五四万円の六か月分三二四万円及び本件保証金の償却金九六万円の合計四二〇万円並びにこれらの消費税三パーセント合計一二万六〇〇〇円の総合計四三二万六〇〇〇円を受働債権として対当額で相殺する旨の意思表示(以下「本件相殺一」という。)をなした。(顕著な事実)
8 被告による相殺の意思表示(本訴の抗弁事実)
被告は、平成八年三月五日到達の内容証明郵便にて、また、予備的に平成八年一二月一八日の本件第四回口頭弁論期日において、原告に対し、被告の主張による減額後の一か月八八万九九二〇円の割合による平成八年三月ないし九月分までの本件貸室契約の賃料等と右割合による平成八年一〇月分の賃料等のうち八三万六〇一二円を自働債権とし、本件三階契約の本件三階解除による七〇六万五四五二円の原状回復請求権ないし損害賠償請求権を受働債権として対当額で相殺する旨の意思表示をなした。(以下「本件相殺二」という。)
9 本件貸室の賃料減額の意思表示
被告は、平成八年一月二九日に到達した内容証明郵便によって、本件貸室の賃料を一か月七二万円(消費税を含まない金額)に減額する旨の意思表示(以下「本件減額意思表示」という。)をなした。
三 争点
【争点1】
本件貸室解除は有効か-原告に本件三階契約につき債務不履行があって本件三階解除が有効であり、被告の本件相殺二も有効であるため、被告の原告に対する本件催告賃料等の支払債務が消滅していたことになり、本件貸室契約において被告に債務不履行がないといえるか。また、仮に、本件三階解除が無効であっても、被告が本件催告賃料等を支払わなかったことにつき背信行為と認めるに足りない特段の事情があるといえるか。(本訴の抗弁事実の関係で)
争点1の1 本件三階契約につき原告に債務不履行が認められるか。
(被告の主張)
1 被告の主張の骨子
被告が本件三階契約を締結したのは、本件三階貸室を六階の本件貸室と一体となったオフィスとして使用収益するためであった。したがって、原告は、被告に対し、本件三階貸室を本件貸室と一体となったオフィスとして使用収益できるようにする義務を有し、さらにはオフィスビルとしての一定の風格を備えたものとして使用収益できる義務を有していた。ところが、原告は、本件ビルの四階と五階に大衆居酒屋「天狗」(以下「天狗」という。)を入居させてこれを不可能にさせ、さらには本件ビルを大衆雑居ビルにしてしまった。その結果、原告の被告に対する本件三階貸室の賃貸義務は履行不能になった。そして、原告がオフィス目的で本件貸室のほかに、新たに本件三階契約を締結しながら、本件ビルの四階と五階部分に天狗を入居させたのは、賃貸借契約の信頼関係を著しく損ねる債務不履行である。
2 具体的義務違反
本件三階契約における原告の賃貸人としての具体的義務の内容及びその違反は、次のとおりである。
(一) 本来の使用収益させる義務違反及び一定のグレードを維持する義務
原告は、賃貸人本来の使用収益させる義務及び賃貸借目的物の一定のグレードを維持する義務として、具体的に、<1>被告が執務している時間帯において、本件ビルのエレベーター(以下「本件エレベーター」という。)が、他の階の顧客(とりわけ酔客)で溢れて独占された状態が構造的に生じないこと、<2>本件貸室又は本件三階貸室のオフィスを利用する被告の従業員及び顧客にとって、本件エレベーターの待ち時間が長すぎず、なかなかエレベーターが到着しないという状態が構造的に生じないこと、<3>しばしばエレベーターが満員のために乗れないという事態が構造的に生じないこと、<4>多数の別の階の客が、しばしば本件貸室まで上がってくるという事態が構造的に生じないこと、<5>頻繁に酔客が狭い本件エレベーター内に嘔吐したり、騒いだりするなどして、被告の顧客や従業員がその悪臭や騒音のため耐え難い不快感を抱かせられるという事態が構造的に生じないこと、<6>本件ビル一階入口において、品の悪い置看板が設置されたり、呼込行為がなされるなどしないこと、<7>本件ビル一階の店舗が共用の通路に商品を並べさせて安売りなどしないこと、<8>本件ビルを全体として安売りのビルにしないこと、<9>本件ビルにつき、オフィスビルとしての格式を維持し、大衆雑居ビルにしないこと、以上の義務を負っていた。
(二) 本件貸室と本件三階貸室とを一体にして有効に使用収益させる義務
原告は、具体的には、<1>被告が執務している時間帯において、本件エレベーターが、天狗の顧客(とりわけ酔客)で溢れて独占された状態が構造的に生じないこと、<2>三階と六階を往復しようとする被告の従業員及び顧客にとって、本件エレベーターの待ち時間が長すぎず、なかなかエレベーターが到着しないという状態が構造的に生じないこと、<3>三階と六階を往復しようとする被告及びその顧客にとって、しばしばエレベーターが満員のために乗れないという事態が構造的に生じないこと、<4>酔客が狭い本件エレベーター内に嘔吐したりするなどして、被告の顧客や従業員がその悪臭や騒音のため耐え難い思いをさせられるという事態が構造的に生じないこと、以上の義務を負っていた。
(三) 告知義務
原告が本件居酒屋を本件ビルの途中階に入居させれば、前記(一)及び(二)の義務を到底尽くせないことが明らかであるから、右(一)及び(二)の義務からさらに、次のような告知義務が生じる。すなわち、原告は、<1>原告において、天狗のような大規模な大衆居酒屋を本件ビルに入居させる意思ないし予定のあることを、本件三階契約締結の時点で、被告に告げるべき義務、<2>入居させようとしている店が、大規模の大衆居酒屋である天狗だという説明をすべき義務、<3>本件ビルの四階と五階に天狗が入居した場合に発生が予想される被告の不利益を、積極的に被告に説明すべき義務を負っていた。
(四) 株式会社テンアライド(以下「テンアライド」という。)との賃貸借契約(以下「本件四、五階契約」という。)締結拒否義務
さらに、原告は、前記(一)及び(二)の義務から、先に成立していた本件三階契約の相手方である被告の利益を擁護すべく、テンアライドが経営する大規模な大衆居酒屋天狗を、本件ビルの途中階である四、五階に入居させることになる本件四、五階契約をテンアライドとの間で締結してはならない義務を負っていた。
原告は、前記(一)及び(二)の義務に違反し、(三)の告知義務を尽くさず、そればかりか意図的に秘匿し、(四)の義務に違反して、本件四、五階契約を締結した結果、(一)及び(二)の債務を履行不能にした。
(原告の反論-被告の主張の番号に対応する)
1 争う。賃貸人は、他の貸室を業種用途等を自由に選択して貸す権利を有しているのであり(=所有権の行使の自由)、これを限定するには特段の契約を要するところ、原告は、被告に対し、本件ビルをオフィスビルとして賃貸することや、三階以上に飲食店を入店させないことを約した事実は全くない。
2(一) 争う。賃貸人としての原告は、被告が執務するための貸室を、これに入室する通路があり、所定の面積を有し、これを独占的に使用できる空間として提供すればよく、また、貸室への通路は、通常の通行ができる通路を提供すればよく、これらをもって足りる。
原告は、天狗の行き過ぎた行為については注意をし、嘔吐については清掃をしている。本件エレベーターの混雑は、原告が被告に対し専用エレベーターを約束した事実はないのであるから、テナント間の相互利用と互譲の問題であって、受忍限度を超えるものではない。
(二) 争う。原告は、被告に対し、本件三階貸室と本件貸室との一体利用を約束したことはない。また、現実に、通常のオフィスタイムを過ぎた夕方の短時間に本件エレベーターを一回待つことがあっても、これをもって貸主の債務不履行とはいえない。
(三) 争う。被告の主張は、主張自体失当である。なお、ビル賃貸人には、賃借申込人に対し、申込みのあったビルの他のテナントの業種、業態を告知する義務がないことは明らかである。
(四) 争う。原告には、被告との契約に反しない限り、自由に所有権を行使でき、基本的に自己の所有権に基づき、第三者に自由に賃貸できるものであるから、本件四、五階契約を締結したことは、何ら被告の使用収益を妨げるものではなく、債務不履行にはならない。
争点1の2 仮に、争点1の1の債務不履行が認められない場合、被告が本件催告賃料等を支払わなかったことにつき、背信行為と認めるに足りない特段の事情があるといえるか
(被告の主張)
被告は、債務不履行に基づく原状回復請求権ないし損害賠償請求権を自働債権とする本件相殺二が有効であって、賃料不払いにはならないと信じており、そのように信じたことには正当な理由があり、被告には、賃貸借契約における信頼関係が破壊される程度の義務違反は存在しないから、本件解除一は無効である。
(原告の反論)
被告は、原告による本件貸室解除後の平成八年一二月一七日になって、一方的に賃料を一か月八六万四〇〇〇円(消費税込み八八万九九二〇円)と減額した上で、本件三階契約の既払金合計七〇六万五四五二円と相殺(=本件相殺二)し、賃料として同年九月分残金五万三九〇八円と同年一〇月ないし一二月分の三か月分二六六万九七六〇円の合計二七二万三六六八円を支払ってきたものである。しかし、実際に原告が被告に返還すべき金員は、わずかに三一万三〇五〇円であるにも拘わらず、本件相殺二を主張して、平成八年二月末に支払うべき三月分の賃料を支払わず、その後一二月初めまで九か月もの間、一方的に賃料減額請求をして賃料等合計九七八万九一二〇円もの多額の金員を支払わず、その後も消費税の値上げで九一万二〇〇〇円となった賃料を八四万円に減額して内払いを続けて、多額の賃料不払いをなしている。被告の右行為は、信頼関係を破壊する行為であるから、本件貸室解除は有効である。
【争点2】
本件貸室契約における平成八年二月以降の賃料につき、一部履行不能による減額事由が存在するか。また、右事由が存在する場合、相当賃料額はいくらか。(本訴の請求原因のうち、未払賃料ないし賃料相当額の関係、反訴の請求原因の関係で)
(被告の主張)
1 原告は、本件四、五階契約を締結することによって、前記争点1の1の「被告の主張」のとおり、被告の本件貸室の使用の内容・程度を著しく低下させた。これは、原告の責めに帰すべき事由によって、原告が被告に対して契約締結時に合意(予定)していた程度の使用収益をできなくしたもの、すなわち、原告の債務が原告の責めに帰すべき事由によって履行不能になったものであるから、本来、反対債務である被告の賃料支払債務も当然にその限度で消滅ないし減額されるものである(民法五三六条参照)。
2 賃料減額の主たる事由は、次のとおりである。
(一) 本件エレベーターの利用の悪化
六階と一階の間の往復の不便という観点になるほかは、前記争点1の1の「被告の主張」のとおりである。
(二) 本件ビルのグレードの大幅な低下
ビルの賃料には、ビルのグレード(格式)が反映されるものであるから、賃貸人は、合意した賃料に見合うビルのグレードを維持する義務があるところ、天狗を入居させたこと自体のほか、天狗の顧客に本件エレベーターを占拠されたり、本件エレベーターやエントランスホールに酔客が嘔吐することによって、本件ビルのグレードを急速に低下させた。
(三) 一階の薬局による通路への商品陳列行為
原告は、天狗を入居させたことにより、他の賃借人に対して、それまでのように規制ができなくなった結果、本件ビル一階の薬局は、通路に大きくはみ出して商品を並べるようになった。
(四) 空調機が十分に稼働していないこと
天狗は、入居後、従来あった四個の空調の室外機を全面的に取り替え、全部で七個に増やした。このため、夏には、天狗が四、五階で営業する日には、日中被告の冷房が効かず、被告社員はひどい目にあっている。未だ、風向ガイドも付いておらず、改善されていない。
3 錯誤
また、被告は、本件貸室契約において、原告が天狗を入居させる意思あるいは予定であること、すなわち、本件貸室を利用できる程度が低下し、グレードが下がるなどの事情を知らず、賃金の合意をしたものであるから、これは動機が錯誤であり、かつ、右動機は表示されていたから、賃料の合意部分は錯誤により無効である。したがって、被告は、適正賃料の確認を求めるものである。
4 相当賃料額
被告に迷惑をかけた天狗の賃料が一坪当たり一万五〇〇〇円程度或いはそれ以下であることからすれば、減額後の相当賃料額としては、一坪当たり一万五〇〇〇円で七二万円が相当である。
(原告の反論-被告の主張の番号に対応する)
1 争う。適正賃料は、所在場所の利便、ビルの建設費、近隣相場等の要素により決定されるのであり、天狗が入居したからといって、直ちに適正賃料が下がるとはいえない。
2(一) 争う。本件エレベーターについては、午前九時ころから午後五時半までという通常のオフィスにおける執務時間の使用には何ら差し支えがなく、通常の事務所の執務時間が終わった午後六時以降にエレベーターが多少混み、入店後しばらく経ってから酔客が乗ってくるからといって、事務所としての利用には何ら差し支えがないし、その程度もテナント間の互譲による利用としての受忍範囲であるから、これにより賃料が減額される筈がない。
(二) 争う。
(三) 一階の薬局の点は、原告の注意で止んでいるし、他の賃借人の違反行為があったとしても、直ちにこれが賃料の減額事由となるとはいえない。
(四) 争う。原告は、既に風向ガイドを取り付けており、既に改善されている。
【争点3】
被告が支払うべき賃料相当額ないし未払賃料額はいくらか(本訴の請求のうち、賃料相当額ないし未払賃料支払請求に関して)
(原告の主張)
原告は、本件三階契約に関して、被告に対し、本件相殺一後の本件保証金残額として一七万四〇〇〇円及び被告が前払いした平成八年二月二一日から末日までの七日分(四分の一)の賃料相当額の返還金一三万五〇〇〇円とその消費税三パーセントの合計一三万九〇五〇円の総合計三一万三〇五〇円の返還義務があるところ、契約書六条により、明渡後六か月を経過した平成八年八月末日に右金員を同年九月末日に支払うべき同年一〇月分の賃料に内入充当した。その結果、平成一〇年八月三一日までの未払賃料合計及び商法所定年六分の割合による利息金合計は、別表一記載のとおり前者が七三一万二五六二円、後者が一〇五万八二一七円である。
なお、本件三階解除は無効であり、被告は、平成八年二月二一日に本件三階貸室の鍵を返却することにより、本件三階契約の解約を申出たものと解されるから、被告は、有効に成立した賃貸借契約について、借り主の都合により、解約の申入れをしたものと評価すべきであって、契約書七条二項本文による解約予告として扱うべきである。したがって、原告は、被告に対し、同条による予告期間六か月が満了するまでの賃料及び共益費を請求しうるほか、本件保証金については、契約書六条による賃料二か月分の償却を請求しうることを前提にしている。
(被告の反論)
本件貸室契約における賃料の弁済状況は、別表二のとおりであり、現在まで未払いは全くない。
なお、被告の鍵の返却は解約予告ではない。被告は、本件解除二によって、本件三階契約を解除したものである。
第四 争点に対する判断
一 争点1の1について
1 認定事実
前記第三の二の争いがない事実に加えて、《証拠略》によれば、以下の事実が認められる。
本件ビルは、JR中央線市ヶ谷駅前の南側駅前で、日テレ通り入口の右側にあり、昭和五六年に新築・完成して以来、事務所・店舗・診療所を用途として賃貸されてきた。ちなみに、本件ビルの竣工前に決まっていたテナントは、別紙「ツユキビルテナント一覧」記載のとおりであり、竣工後、旧地下一階には飲食店(「ペーパームーン」)、六階に被告が入居することになった。その後、五階に制作情報出版の会社が、四階に設計事務所が入居し、二階の高級フランス料理レントランは、名前が変わって「マロニエ」となったほか、地階にラーメン屋(「十番」)が入店した。なお、日テレ通りは、銀行、日テレ関係の会社等の事務所が建ち並んでおり、その中には、飲食店が入店しているものもあるが、その場合には、通常、地階か、外部から直接階段で入口まで行ける一、二階に入店している。本件ビルでも、従前、三階以上に飲食店が入店したことはなかった。
本件ビルには、間口八〇センチ、内部の幅が一三九センチ、奥行き八四センチの六人乗りの狭いエレベーターが一機あるだけで、他に非常用の外階段以外は、二階以上の階上に行くエレベーターないし内階段はなく、しかも、右非常階段は、鉄製で透かしの部分の大きいもので、本件ビルの利用者は、平生はほとんど使用しておらず、かえって、踊場等を中心に、テナントが物置き場にしている状態である。
被告は、不動産の管理・受託業務、共同住宅の管理・保証・受託業務、建築物設計・施工・営繕業務、不動産の売買・仲介・賃貸等の業務を行う会社であり、本件貸室には東京支店が入居し、平成七年当時、約二五名の社員が常駐していた。被告の従業員の就業時間は、午前八時四五分から午後六時までであり、従業員は午後六時以降徐々に帰宅するものの、昼間だけではなく夕方から午後八時ころまでの間も、予約して来訪する顧客(毎日数名ずつ)を含めた顧客(賃貸物件の所有者や賃借希望者、建築・不動産業者等)が、毎日二〇名ないし二五名程度ずつは出入りすることや、物件の巡回や顧客との連絡等の必要もあって、毎日一〇人程度の社員は、午後八時ないし午後九時ころまで本件貸室で残業をする勤務形態をとっている。また、午後五時半ころから午後八時ころまでの間には、被告の他の営業所から、五名程度の従業員が帰ってきたり報告に来たりして出入りする。
被告は、平成七年六月ころには、本件貸室だけでは事務所が手狭になったため、本件貸室から出て、向かい側にある大郷ビルの最上階(約九五坪)を借りることを考えたものの、賃借面積がやや広すぎるため断念した。その後、被告東京支店管理部長白木通夫(以下「白木部長」という。)は、同年九月五日ころ、原告が本件ビルの管理を委託している株式会社サニースペース(以下「サニースペース」という。)の担当者早乙女敬章(以下「早乙女」という。)に対し、当時空室となっていた三階の半分の本件三階貸室の借増しにつき打診したところ、早乙女もこれを勧めた。その際、被告東京支店としては、丁度よい広さの本件三階貸室(三〇坪)を借り増すことができれば、六階の本件貸室とともに、手狭になった被告東京支店の事務所として、右両室を被告従業員が行き来しながら、いずれも被告東京支店の事務所として一体的に利用するつもりでおり、本件三階貸室を借り増せば、右のような意味で被告が本件貸室と本件三階貸室とを一体として利用可能になるという話は、早乙女の方からも話題にしていた。
一方、同じころ、テンアライドが経営する天狗が本件ビルの四階(四二坪)と五階(四八坪)への入店を希望し、内見に訪れ、賃貸条件を打ち合せるなどした後、テンアライドは、一一月一日に本件四、五階契約を締結した(賃料は一坪当たり一万五〇〇〇円を上回らない)。白木部長は、九月一三日には、早乙女との間で、本件三階貸室の賃貸条件の打ち合わせをし、一坪当たりの賃料を一万五〇〇〇円、共益費を三〇〇〇円、また、本件貸室の更新後の賃料を一坪当たり一万九〇〇〇円とすることを合意し、一〇月一二日には、右条件で、一〇月一五日付けで一一月一日開始の本件三階貸室の契約書に調印した。早乙女は、白木部長に対し、テンアライドが四、五階を賃借することについては、格別告げておらず、白木部長は、一〇月三〇日のテンアライド入居のための内装工事の説明会(テンアライドは欠席)で初めて、「テンアライド」が四、五階に入居することを知ったが、具体的に、同社が経営する大衆居酒屋「天狗」が入居することを知ったのは、一二月に入ってからであった。
天狗は、安売りにより、学生、会社員らに人気の高い大衆酒屋であり、本件ビルには、四階と五階との貸室に一五〇名の客を収容できる店舗として入店し、平成七年一二月七日、営業を開始した。天狗の営業時間は、午後四時半から午後一一時までであるが、当初から毎日、繁忙時間帯には満席状態で、両店舗に入りきれない客が入口に溢れるほど繁盛しているところ、毎日午後五時半ころから午後八時ころまでの間は、一階から四、五階の天狗の店に行く顧客、四、五階から一階へ帰る顧客で、本件ビルの唯一の上下の移動手段である六人乗りの本件エレベーターが天狗の顧客で満杯か、或いはなかなか乗れない状態に陥った。ちなみに、いずれも一階の本件エレベーター入口で被告従業員が見分した本件エレベーターの乗降客数は、平成八年八月二三日(金曜日)のものが別紙「実験結果1」、平成一〇年五月二二日(金曜日)のものが別紙「実験結果2」のとおりであり、これらの大量の顧客が四、五階で乗降することになっている。また、天狗の顧客は、席を求めたり或いは仲間を探したりするために、しばしば四階と五階の両店舗の間を本件エレベーターで往復するので、余計、本件エレベーターが六階ないし一階になかなか来ないことも起こった。その結果、特に午後五時半ころから午後八時ころまでの間は、本件エレベーターが満員或いは順番待ちの顧客多数のため、一階から六階の本件貸室のある六階に上がろうとする被告の顧客や従業員にとって、エレベーターの待ち時間が数分以上(しばしば七分以上)になった。また、天狗の顧客が帰る時刻にも、本件エレベーターは混雑し、しばしば多数の酔客が確実に乗れるようにするべく、一旦四、五階から六階まで本件エレベーターに乗って上がってくるようになった。このため、六階で本件エレベーターを待っていた被告の関係者は、本件エレベーターに乗れないで待たされることも多くなった。このように、天狗開店以来、夕刻から宵にかけて、被告の従業員ないし顧客にとって、本件エレベーターによる円滑な昇降ができなくなり、来訪した顧客から不満が出たり、従業員の仕事に支障が出たりするようになった。
また、本件エレベーターは、天狗の営業時間帯には、酔客で満杯になるため、酒の匂いが充満し、しばしば酔客が大声を出して騒ぐようになった。なお、本件貸室は、本件エレベーターの六階エレベーターホールから出たところがすぐその入口になっているところ、被告従業員が静かに残業しているところへ、天狗の酔客の中には、誤って空席を探してか、本件エレベーターで六階まで上がって来て、大声を出すものもときどきあって、仕事中の従業員はその都度迷惑を被るようになった。さらに、天狗の酔客は、ときどき本件エレベーター内で嘔吐し、天狗によって応急の処理がなされても、翌朝までサニースペースによる本格的な清掃処理がなされないため、狭いエレベーター内に耐え難い悪臭が残った。被告の従業員ないし顧客は、このような天狗の顧客の本件エレベーターの利用方法によって、常に不快感を抱かされるようになった。
その他、天狗開店当初、天狗の従業員(男性二名、女性一名)が、道路で派手な呼び込み行為をしたり、道路にはみ出して派手なネオンの天狗の置き看板を置いたりするようになった。また、一階の薬局については、天狗が開店してからは、それまで守られていた原告による規制を無視して、本件ビル一階の共用の通路部分にはみ出して商品を並べるようになった。
そこで、白木部長は、平成七年一二月一二日ころには、早乙女に対し、前記呼込み行為や看板の問題に加えて、本件エレベーターの待ち時間の問題や共用通路の問題について、実情を訴えて善処方を要請した。その結果、前記呼込み行為はなくなり、看板も昼間は片づけられるようになったが、原告は、本件エレベーターの待ち時間の問題については、各テナント間の共用の問題であるとして、今日まで何ら改善措置を講じないままであり、本件エレベーターの利用状況につき前記状態が継続している。
ところで、被告は、決算期が一二月末であり、平成八年一月の新年度になって人員組織ないし配置を見直し、社内体制を整えてから、本件三階貸室を使う予定でいたため、本件三階契約をなし、平成七年一〇月一六日分から賃料等を支払っていたにも拘わらず、本件三階貸室を未だ実際には使用していなかった。そして、天狗が開店した後は、しばらくその営業状況や本件エレベーターの利用状況等の様子を見守っていたが、新年度になって方針を検討した結果、本件エレベーターの利用状況の改善がなされないままの状態では、このまま本件三階契約を継続しても、当初予定したような本件貸室と本件三階貸室との間を被告従業員が円滑に行き来しながらの事務所としての一体的な利用ができないものと判断した。そこで、被告は、被告代理人に相談の上、平成八年一月二五日付、同月二九日到達の内容証明郵便にて、原告に対し、本件貸室解除の意思表示をなした上、同年二月二一日になって、原告に対し本件三階貸室の鍵を返却した。
以上のとおり認められ(る。)《証拠判断略》
2 まず、本件三階契約を締結するに当たって、賃貸人の原告について、被告が主張するような「告知義務」や本件四、五階契約の「契約締結拒否義務」なるものは、認められない。
問題は、原告が本件四、五階契約を締結することにより、被告の本件三階契約における本来の使用収益に不能状態が生じているか否か、或いは、被告が本件三階契約を締結した目的を達することが不可能な状態になっているか否かである。前記1の認定事実によれば、原告が本件四、五階契約を締結しても、本件三階貸室から出入りせず、右室内でいわゆるオフィス業務を遂行すること自体においては、格別支障は生じていなかったものというべきである。また、被告にとって、午後五時半ころまでの昼間の勤務時間内には、六階の本件貸室と本件三階貸室との間を、被告従業員が本件エレベーターで行き来することにより、右両室を一体的に利用することは可能であったと認められる。しかしながら、被告東京支店では、従来から、午後五時半以降も午後八時ころまでは、業務上の来客があり、また、多くの従業員が午後八時ないし九時ころまでは残業に従事していたところ、三階と六階の途中階である本件四、五階で天狗が営業を開始した後は、本件三階貸室を借り続け、実際に使用したとしても、午後五時半ころから午後八時ころを中心とした天狗の繁忙時間帯には、本件エレベーターの持ち時間が長くなり、特に、四、五階を挟む三階と六階を被告従業員が本件エレベーターで円滑に行き来しながら、右両室を一体的に利用して執務することは相当不便かつ困難になるものと推認される。
ところで、本件ビルの賃貸人の原告としては、貸室自体を使用収益可能な状態にしていれば、賃貸人としての使用収益させる義務を履行したとはいえず、貸室の使用収益をさせる前提として、各貸室に至る共用通路や階段、エレベーター等の移動経路についても、単に通路等の空間を提供しさえすれば足りるというものではなく、賃借目的に従った貸室の利用時間帯は、貸室への出入りが常時支障なくできるようにすることにより、貸室を使用収益するのに適した状態に置く義務を負っているものと解するのが相当である。とりわけ、本件ビルにおいては、他に実用可能な階段やエレベーターがなく、六人乗りの狭い本件エレベーターが唯一の昇降手段であることからすると、本来、一五〇人もの顧客が出入りするような大衆居酒屋が、途中階の四、五階に入居することは、本件ビルにとって構造的に予定されていなかったものといえる。そうであれば、本件ビルの賃貸人としての原告は、天狗を入居させたからには、他の賃借人が各自の貸室にたどりつくのに支障がないよう、上下の移動手段ないし経路の確保、増設等の措置を講じるべき義務を負うに至ったものと認めるのが相当である。そして、特に本件三階契約をなした目的が、本件貸室と本件三階貸室との間を被告従業員が行き来しながら被告東京支店としての一体的利用を図る点にあることは、前記1で認定したとおりであるところ、被告の残業時間帯である夕刻以降における本件エレベーターの前記利用状況とこれによってもたらされた、或いは本件三階貸室を実際に利用し始めることにより予想される被告にとっての利便に照らして考えると、本件貸室と本件三階貸室との間を被告従業員が行き来しながら一体的利用を図るという、被告が本件三階貸室契約を締結した目的は、終日不能というわけではなく、かつ、完全に不能というわけではないものの、一部(=夕刻以降の残業時間帯において)において不完全にしか達せられなくなっているものと認めることができる。そうすると、本件三階貸室の賃貸人としての原告には、被告に対し契約の目的を達するべく本件三階貸室を使用収益させる義務について、不完全履行があったものと評価せざるを得ない。そして、白木部長から早乙女に対し、本件エレベーターの利用問題につき善処方を申し入れても、何ら改善がなされず、改善の見込みがなかったのであるから、被告は、原告に対し、民法六一一条二項を類推適用して、本件三階契約を使用収益させる義務の一部不完全履行により解除できるものというべきであり、被告による本件三階解除は有効であるといわなければならない。
そこで、被告は、本件三階解除の意思表示のとき(平成八年一月二九日)に債務不履行に基づく損害賠償請求権を取得したものというべきである。ところで、被告がその会計年度の関係で方針が未決定であったことと、天狗の営業状況、本件エレベーターの利用状況等の様子を見るため、本件三階契約締結以来、実際には本件三階貸室を使用しないまま、いわゆる空家賃を支払っていたことは、前記1で認定したとおりであるから、前記第三の二6の本件三階契約に関する被告の原告に対する既払金のうち、平成七年一〇月一六日から本件三階貸室の鍵を返却した日である平成八年二月二一日までの賃料等については、本件三階解除により原状回復すべき金員、或いは原告の不完全履行と相当因果関係ある損害とは認められない(なお、民法六一一条二項の解除に遡及効はない)。他方、本件三階契約においては、本件保証金の返還につき、前記第三の二3(五)、(六)の約定があるけれども、これは、通常の期間満了や合意解除((五))、被告の都合による解除((六))の場合について取決めたものと解するのが合理的であり、本件のような原告の債務不履行による解除の場合には適用がないものと解するのが相当である。そうすると、原告は、被告に対し、本件三階解除に基づく原状回復として、本件保証金四五〇万円と、平成八年二月二二日から同月二九日までの日割り賃料等の一五万三四三四円の合計四六五万三四三四円の返還債務を同年一月二九日に負うに至っていたことになる(なお、同月三〇日から二月二一日までの間は、本件三階貸室の鍵を返却していない以上、被告が本件三階貸室の占有を継続していたものとみざるを得ず、この間の賃料等の返還は認められない。)。
したがって、本件相殺二により、本件催告賃料等の支払債務は消滅しているから、被告には、債務不履行がなかったことになり、本件貸室解除は無効であるといわなければならない。
二 争点1の2について
本件貸室解除は無効であるから、被告の本件相殺二が背信行為にあたるということはできない(なお、本件貸室解除による損害ないし原状回復の額や、後記三で検討する賃料の減額金額につき、被告が本件相殺二に供した債権額が裁判所の認定を上回るのは、やむを得ないところである。)
三 争点2について
1 本件エレベーターの平成八年二月以降における利用状況とこれによる残業時間帯における被告にとっての支障の内容、天狗の酔客による本件エレベーター内や本件貸室の入口付近のエレベーターホール内での迷惑行為の態様は、前記一1で認定したとおりである。
また、《証拠略》によれば、天狗は、入居後、従来あった四個の空調室外機を全面的に取り替え、全部で七個に増やしたこと、このため、夏場に、天狗が四、五階で営業する日には、天狗の空調機の容量が多く、四、五階の天狗の右室外機から吹き出す熱気が六階の被告の室外機に吹き上がってくるため、日中本件貸室内の被告の冷房が効きにくくなり、被告の従業員は、毎年夏場には、不快な環境の下で執務をせざるを得なくなっていること、サニースペースは、平成八年初夏に被告から苦情を受けて、天狗の室外機の吹出口に風向板を取り付けたが、その後も前記本件貸室の冷房の状態は改善されていないことが認められる。
2 前記1で認定したような本件貸室に出入りするための唯一の昇降手段である本件エレベーターの平成八年二月以降における利用状況とこれによる残業時間帯における被告にとっての支障の内容・程度、天狗の酔客による本件エレベーターや本件貸室の入口付近のエレベーターホール内で恒常的に繰り返される迷惑行為の内容・態様、夏場の空調機の効果減少の事実にかんがみると、本件貸室契約における賃貸人としての原告の債務、すなわち、その賃貸目的である事務所として、被告従業員ないしその顧客が支障なく本件貸室を使用収益するために適した状態におくべき債務について、一部不完全履行があり、かつ、現在までこれが改善されていないものと認めることができるところ、その使用収益の支障の程度ないし原告が入居させた他の賃借人の迷惑行為による不完全履行の割合は、完全な履行状態に比して、一割程度と評価するのが相当であると思料される。したがって、民法六一一条を類推適用して、平成八年二月分以降の本件貸室の賃料は、本件減額意思表示により、約一割程度減額されて、一坪当たり一万七〇〇〇円の割合による八一万六〇〇〇円(消費税を含まない金額)に減額されたものと認めるのが相当である。なお、被告が主張するその他の減額事由、すなわち、「本件ビルのグレードの低下」や「一階の薬局による通路への商品陳列行為」は、これらによって、本件貸室の使用収益が実質的に妨げられているとは認め難いから、いずれも考慮することはできない。また、被告が主張する「錯誤」の主張は、失当である。
四 争点3について
前記一2及び三によれば、平成八年三月分から平成九年三月分までの被告が支払うべき本件貸室の賃料は、消費税(三パーセント)を含めると八四万〇四八〇円、同年四月分から平成一〇年八月分までの賃料は、消費税(五パーセント)を含めると八五万六八〇〇円となる(なお、別表一の「現実支払額」は、賃料分(消費税込み)のみ掲記すべきところ、共益費分(消費税込み)も含めた支払額が誤って掲記されている。)。そこで、前記一2で認めた限度での本件相殺二と前記第三の二5で争いがない本件貸室の賃料(消費税込みの金額)の支払状況から、賃料の支払不足額とこれに対する遅延損害金額を計算すると、別表三のとおりとなる。したがって、被告は、原告に対し、未払賃料として四九六万六〇九八円と遅延損害金四六万〇六九五円の合計五四二万六七九三円及び内金四九六万六〇九八円に対する弁済期後である平成一〇年九月一日から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金を支払う義務があることになる。
五 むすび
以上の次第で、原告の本訴請求のうち主位的請求は棄却し、原告の予備的請求及び被告の反訴請求は、主文の限度で認容することになる。
(裁判官 徳岡由美子)